麻原彰晃はなぜ狂気に走ったのか…。その理由と敬意をまとめて見た

こんにちは!!

先日オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が執行されましたね…

テレビやネットでは「なぜ今執行したか」などの意見がたくさん飛び交っています。

今回は麻原彰晃という男がどのようにできたのか、を調べてみました。

まずはプロフィールからどうぞ。

麻原彰晃

• 本名:松本智津夫

• 生年月日:1955年3月2日

• 出身地:熊本県

• 最終学歴:熊本県立盲学校

9人兄弟の7番目(4男)として生まれ、熊本県の貧しい家庭に育っています。

先天性緑内障のため左目の視力はほとんどありません。

また長兄は全盲、5男は弱視と視覚障害は遺伝のようです。

学生時代

普通学級に入学しましたが、視覚障害と補助金を理由に熊本県立盲学校へ転校。

全盲の兄と弱視の弟も一緒でした。

ここでは寄宿生活をします。

その間両親は一度も訪ねてきたことがなく、松本死刑囚は捨てられたと思っていたとのこと。

犯罪を犯す人は幼少期に両親の愛情が足りなかったという説がありますが、松本死刑囚も例外ではないのかもしれませんね…

松本死刑囚は片目の視力があるため、盲学校内では他の生徒を子分のように扱っていたといわれています。

窃盗を命じたり、恐喝したりと問題行動も多かったようです。

寮母がとがめると、ふてぶてしく反発する態度でした。

人を支配しようとする性格はこのころからですかね(・・;)

非常に野心家だったようで生徒会長や寮長に立候補するも素行の悪さから、選ばれるわけがなく落選。

30歳までに数々の犯罪を繰り返していた…

その時の松本死刑囚の夢は医学部へ行き、医者になることを目指していました。

しかし当時、視覚障害者は医師免許は取得できないため、その道を諦め鍼灸師の資格を取得。

盲学校卒業後は長兄の漢方薬店を手伝い、鍼灸師として働いていました。

その時に従業員に暴行を働き、罰金刑を受けています。

その後東大受験を目指すため上京し、予備校に通います。

予備校で知り合った石井知子という女性と結婚。

現在の妻の松本知子です。

鍼灸院を開業しますが、すぐに廃業。

漢方薬局を開業します。

しかし、保険料の不正請求や薬事法違反などで逮捕されています。

松本死刑囚が大きな犯罪を起こす兆候は以前からあったわけですね。

ちょうどこの頃から宗教に興味を持ち、根本仏教系の新宗教団体「阿含宗」に入信してます。

オウムの始まり

1982年経営塾などをやっていた人物である西山祥雲に弟子入りし「彰晃」の名をもらいます。

この頃から松本彰晃と名乗るように。

阿含宗を脱会し、仙道・ヨーガ・東洋医学などを統合した(超)能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設。

のちにヨガ道場「オウムの会」と変更。

このころから「麻原彰晃」と名乗り始めます。

これがオウム真理教の母体となる団体です。

1987年にオウム真理教と団体名を変更、さらにオカルト雑誌の広告などを利用し信者を集めていきます。

教団内では好みの女性信者を愛人にして、性の儀式と称し関係を持っていたとされます。

その愛人の数は100人以上とも。

松本死刑囚の子供を生んだ女性信者は数名います。

遂に殺人に走るように…

その一方で松本死刑囚は、殺人肯定の教えを説くように。

1988年に在家信者死亡事件が発生。

その後も信者が殺害される事件などの関与が疑われます。

そしてオウム真理教は日本政治界の進出を図り、1990年に衆議院議員選挙に出馬。

しかし結果は惨敗。

この時松本死刑囚の脳裏に、学生時代の屈辱的な思い出が蘇ります。

その結果、国家を逆恨みし無差別テロを計画し始ました。

表向きは宗教団体を名乗り、バラエティ番組出演も増えていました。

そのため知名度も上がり、信者もさらに増えていたようです。

科学関係に詳しい信者を中心に炭疽菌やサリンの開発に力を入れ始めます。

1995年3月に東京都内の地下鉄でサリンを撒く、地下鉄サリン事件を実行。

同年5月に教団施設にある隠し部屋に隠れていたところで逮捕されます。

2018年7月6日に死刑執行…

まとめ

松本死刑囚にはもともと私利私欲のために犯罪をもいとわない人間で、オウム真理教を作りそれがさらにエスカレートしていった。

そして選挙惨敗をキッカケにトラウマが蘇り、国家を相手取った大規模なテロを行った。

という感じです。

見返してみると、松本死刑囚の学生時代からの歪んだ人間性が改めてよく見えますね。

そしてオウム真理教という歪みまくった宗教団体も…

皆さんも怪しい宗教団体にご注意を。

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