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太田光代の生い立ち、若い頃が壮絶すぎる!?母子家庭で難病発症!?モデルやパチプロだった!?

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今や『爆笑問題』の太田光夫人として、芸能事務所『タイタン』を率いる女性実業家として知られる太田光代さん!!

引用:https://www.oricon.co.jp/news/2031127/photo/4/

なんでも壮絶な生い立ちだったそう!

ということで今回は太田光代さんの生い立ちについてまとめてみました!!!

未婚出産で誕生

太田光代さんのお母さんは、39歳の時に未婚のまま太田光代さんを出産。

いわゆる未婚の状態で、当時の時代背景的にも風当たりは強かったようです。

お相手の男性は、壱岐の島に住んでいたと光代さん自身のツイッターで公表。

その上、太田光代さんが1歳半の時、股関節脱臼であることが判明。

太田光代さんは歩き出す頃に見つかり、その場合は重症化している場合が多いそうです。

医者には、「治療しても普通にはもう歩けないでしょう」と言われ、1歳半から3歳まで長期間の入院を余儀なくされました。

なんと入院中にいじめにもあっていたそう…

それでも奇跡的に回復し、普通の人と同じように歩いたり走ったり出来るようになったのです。

母親が結婚

太田光代さんが6歳のとき、お母様がお見合い結婚。

ずっと2人家族だった生活に突然男の人が来るとなれば、心境は複雑になります。

「私がいるだけじゃだめ?」

「だめ」

とお母様にはっきり言われてしまいました。

しかし気がついたら父親のことが大好きになっていたそう。

父はとても優しい人でしたが、物事を斜めに見る鋭さと奥深さがあったそう。

太田光代さんの精神的基盤はそんな父親の影響を受けているようです。

実はモデルだった!?

高校を卒業後、スカウトされてモデル事務所に所属。

グラビアやキャンペンガールとして活躍。

さらに楠田枝里子などのものまねでお笑い芸人として活動するものの、本来は女優が志望だったんだそう。

太田プロの同期には爆笑問題がおり、太田光さんと運命の出会いを果たします。

夫との馴れ初め

引用:https://koimousagi.com/18982.html

ある日、太田プロダクションの芸人たちと合同コントをすることになり、太田光代さんの家に集まって台本を作っていました。

そこで、太田光さんは好意を持たれていた女芸人さんにしつこく追いかけ回されていたそうです。

太田光さんはその女芸人さんに好意はなく、困っているところを太田光代さんが見かねて隣にテーブルの下で太田光代さんは太田光さんの手を握りました。

そのまま、その日のうちに同棲を始めてしまったそうです。

太田光さんと太田光代さんの交際は1998年に始まり、1990年の秋に結婚します。

揉めて事務所を退社

結婚の前に『爆笑問題』は太田プロダクションを半ば喧嘩状態で一方的に退社。

しばらくは他の事務所に移籍することもできず、仕事は全くありませんでした。

仕事がないので、相方の田中裕二さんはコンビニのアルバイトし、太田光代さんは田中裕二さん務める同じコンビニでのアルバイト。

そしてパチスロの上がりで生計をたてます。

そのパチスロの腕前が玄人なみで、なんと月収約50万円だったとか。自宅にスロットのマシンを購入して、攻略法を研究してました。

新事務所設立

太田光代さんは、不義理をして独立した事務所太田プロダクションに詫びを入れて、事務所『株式会社タイタン』を設立。

しかし、すぐに仕事が来るわけはなく、そこで太田光代さんが考えたのが「単独ライブ」でした。

「ネタさえ見せれば、絶対に興味をもってもらえる」『爆笑問題』の笑いの才能を確信していたのでした。

1回目のライブは好評で、2回目のライブを見に来ていたテレビ局の重鎮は、4月からはじまる番組のレギュラーに『爆笑問題』を据えました!

その時、決まったレギュラー番組は4つ。

その後の爆笑問題は、みなさんがご存知のような活躍を見せます。

見事に太田光代さんの戦略がはまったのでした。

現在

太田光代さんの手腕なくして、現在の『爆笑問題』の地位はありません。

『株式会社タイタン』は今や『日本エレキテル連合』はじめ多くのお笑い芸人と作家・映画監督の辻仁成さんや弁護士の橋下徹さんを抱える大事務所に!

太田光代さんはタイタンの関連会社6つを経営し、生花店、ハーブ・アロマ店、エステサロンの店舗も経営。

太田光さん、太田光代さんの今後の活躍にも期待しましょう!!

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